草木咸能言語有
天照大神の子正哉(まさか)吾勝勝速(あかつかちはや)日天(ひあまの)忍(おし)穂(ほ)耳(みみ)尊(みこと)、高皇産(たかみむす)霊(ひの)尊(みこと)の女栲(むすめたく)幡(はた)千千姫(ちぢひめ)を娶(めと)り、天津彦彦火瓊瓊(あまつひこひこほのにに)杵(ぎの)尊(みこと)を生みたまふ。故、皇祖高皇産霊尊、特に憐愛を鐘めて崇養したまふ。逆(つい)に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、葦原中国の王とせむと欲す。然れども彼の地に、多に蛍火なす光る神と蠅声なす邪神と有り。複、草木咸(くさきみな)能(よ)く言語(ものいうこと)有り。 「日本書紀」 第二巻 神代下、日本書紀 上、日本の古典を読む、小学館、2007、p39.
高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国へ降臨させようとしたところ、蛍火のように光る神と蝿のようにうるさく群がる邪神がいて、草木が皆ものを喋っていたという。支配者として使わされるニニギノミコトとしては取り付く島もない状況であり、支配どころの話ではない。そこで神々は予め何柱もの神々を何度も先陣として送り出し、ようやくその国の支配者である大国主命に代わって支配することがきめられ、邪神や草木石の類を平定し、ニニギノミコトの降臨が可能となったという。しかし、草木の話していた言葉とはどんなものであったのであろうか。
大国主命とその子供たちが支配していたのであるから、全くの混沌ではなかったであろうが、天上の神々から見れば当然然るべき国の統治ではなかったので、草木すらものを喋っていたという、混沌状態に見えたのであろう。草木が喋っていて人にはわからない言葉であったにしても、草同士、木同士はお互い言葉を理解していたのであろうか。あるいは、それぞれの草や木が勝手に思いつくままに音を発していただけなのだろうか。混乱していたというのを強調するならば、その方が理にかなっている。そうであれば草木の言語というのは、言葉ではなく、単なる音であることになる。意味のない音が至る所で木霊していたことになる。その中を蛍火を放ち、蝿声なす邪神が漂っているというのは、いかにもおどろおどろしく、更なる混沌を感じさせる。しかし、そこには大国主命の支配する国があり、人は少なくともある程度通じる言葉を持っていたであろう。しかし、権力の届く言葉の力は限定的で、未開の、或いは支配の及ばない混沌とした地域が多かったと考えられる。そうした中で、大和朝廷はより普遍的な一元的な権力の透徹する領域を確立しようとするのである。この場合の言葉とは権力ということである。現実には日本列島の言語もこれ以降も多様であったからである。
しかしながら話をする草木という言葉を、まともに取れば、そこには当然アニミズムの世界観がある。草木や木や岩などの植物や自然物は、現在のように沈黙し、支配者である人間の言うがままになっていたわけではなく、独自の存在を享受していたということになる。それはすべての地上の存在物がある意味で対等の存在であったという事でもある。木を勝手に切り倒したり、草を勝手に傷つければ、恐らくその報いを受けることになろう。またそこに佇んでいる岩を勝手に動かせば同じように報いを受けるかもしれない。そこでの人間の支配力は極めて小さなものであったろう。
瓊瓊杵尊の使命は従って、そうしたアニミズムの世界を大和朝廷の一元化した支配に変えることであり、単に人間ばかりではなく、自然を支配することでもあったという事になる。しかしながら当時における自然支配は限定的であり、自らの信じる神への信仰、むろん大君という軍事的力を伴う信仰、を通じてより広い地域を支配するという、より普遍的な「アニミズム」でしかなかったかもしれない。それでも自然は少しずつ開拓され、軍事力によって大和朝廷の領域は広がってゆく。
鎌倉、室町、安土桃山、江戸時代を通して、燃料としての木々の伐採、農業利用のための山林の草山化が進行する一方、各領主たちは新田開発や鉱山開発を盛んに行い、領地を拡大してゆく。人間の手の入るところは可能な限り人間の支配に組み入れられてゆく。農業技術や、植林も含めた森林開発という人間中心の世界観が拡がり、明治になれば、富国強兵の時代のなかで、天然資源などの自然は外国にまで行って収奪するべきものとされるようになるのである。そうした中でもはや草木の声を聞くという時代は遙か昔のものになる。
アニミズムは古代の迷信とみられがちであるが、アニミズムの精神の持つ声なき自然の営みへの配慮や人間との地上に生きる生命としての深い繋がり、地球環境全体への意識は、人間中心主義、テクノロジーによる自然支配の思想が傲慢にも忘れかけている重要な将来的な指標なのではあるまいか。