朝霧の如く

是の野に、麋鹿(おほしか)甚だ多し。気(いき)は朝霧の如く、足は茂林の如し。臨(のぞ)みて狩りたまふべし。

かつての表現には今の我々にとって思いがけないものがある。我々の表現がますます希薄になっているのに、我々は日々の生活に忙しく、表現のどうこうに時間をかけることは普通殆どない。しかし思いがけない表現が、コンクリートジャングルといわれる都会に住む我々を、はるかの昔にいきなり拉し去ってしまうこともある。日本書紀のある個所である。

彼は、冬の凍てつく原始林の茂みに息を殺して潜んでいる。なぜなら京から来た大軍勢が我々の土地のあちこちで侵略をしながら、人を殺し、家を焼いているといううわさがあるからである。人々は小さな集団で生き、その生は過酷だ。人々は信じあうこともなく、恐れの中で生きている。しかしすでに階級に縛られ、すでに支配階級が人々を牛耳っている。強い者が勝ち、富と権力を独占し、弱者は奴隷とされ、あるいは兵士として命令に従い、強者のために戦い、命を落とす。そのための代償は何もない。弱者は生まれるだけ損なのだ。

どんな理由で、この京から来たという人間たちは、何のかかわりもない我々を我々を征服しようとするのだろうか。何のために自分たちはこの人間たちに従わねばならないのだろうか。理由は分からない。侵略者が来れば、従うか、戦うしかない。できれば戦いたくはない。しかし可能性があれば策略で相手の首領を殺すこともできるかもしれない。そうすれば大軍勢であっても敵は侵略を放棄するかもしれない。村の長として、全てが自分にかかっている。

そうする価値はあるのだ。しかし、それが失敗すれば、少なくともこちらの命はないし、敵の配下に下ることとなる。果たして、敵の首領は、村の長である自分を呼び出した。何気なく森に誘い出すのはどうだろうか。森ならば地形を知り尽くしているこちらに分がある。相手も獲物を見て、油断するかもしれない。

「是の野に、麋鹿(おほしか)甚だ多し。気(いき)は朝霧の如く、足は茂林の如し。臨(のぞ)みて狩りたまふべし」

初めて敵の首領である日本武尊に呼び出され、自分はこうしたことを言った。もしかしたら誘き出せるかと考えたからである。それはとりあえずは特に儀礼上の意味しか持たないし、敵がそうした誘いに乗りはしないだろう。しかし、敵の首領は自分の言葉通り朝、狩りにやってきた。何年にもわたって殺し合いをしてきた敵の首領にとっては、つかの間の休息の時間に見えたかもしれない。万が一と考えて森に秘かに隠れていた我々は野に火を放った・・・

「気は朝霧の如く、足は茂林の如し」。朝の冷たい空気の中で、鹿の吐く息が霧のように森の空気を満たしている。それに、鹿たちは群れを成して、その大群のほっそりした足は若木でびっしり埋まった林のようであるという。そんな状況であれば、鹿狩りに行かない理由は何もない。

日本書紀にある日本武尊の記事はなぜかとても詳しく、彼の心情までもが描写されている。武尊は、屈強な体を持つ皇子として生まれたがため、父天皇から過大の期待を受け、それから逃げることをせずに休みなく戦い、それがために、傷を負い、夭折した。彼は強壮であり、勇敢であった。しかし彼の内面は、感傷を育めなかった。彼は国のために、他部族であった熊襲を、蝦夷を、見知らぬ異国の民を襲い、殺戮し、朝廷の領土を拡大した。しかしそれは彼に何をもたらしたのか。彼は、夕方の夏の茫洋とした仄暗い濡れた草の上に伏し、冬の凍える野に幾百もの朝を迎えた。それが彼の皇子としての人生であった。彼には、厳かな朝の家族との朝餉もほとんどなく、暖かな夕餉の団欄もなかった。

彼を毎朝迎えるのは、血と刃の恐怖であり、正義を己に言い聞かせねば、崩壊してしまうであろう自分の生き方であった。彼は自分の平らげる東夷の如く獣の肉を喰らい、雑草を食んだ。彼を戦わせるのは、遠い異国での遙かで不確かな皇子としての記憶でしかなかった。臆病な兄と、頼りがいのない天皇である父親。

彼にはそもそも家族といえるものもなかった。どうして自分が生きている限り惨めな戦いをし続けねばならないのか。どうして兄や父は、死の恐怖から遠く離れ、満ち足りて生きられるのか。なぜ自分は幸福に生きている異国の民を服従させ、十分な理由もなく殺さねばならないのか。彼は答えを探し続けたに違いない。

しかし彼は勇敢な皇子として戦い死ぬことによってしか、自分の命のやり場を見つけられなかった。彼は気高い英雄であり、同時に見捨てられた子供でもあった。それでも彼は、シカを追って狩りをする。それは彼のやり場のない怒りを無害なものの殺戮に破裂させ、つかの間の勇敢さを感じられる唯一の時であった。彼はそうして敵の罠に塡まりかけてしまうのである。

 

是歲、日本武尊初至駿河、其處賊陽從之欺曰「是野也、糜鹿甚多、氣如朝霧、足如茂林。臨而應狩。」日本武尊信其言、入野中而覓獸。賊有殺王之情王謂日本武尊也、放火燒其野。王、知被欺則以燧出火之、向燒而得免。一云、王所佩劒藂雲、自抽之、薙攘王之傍草。因是得免、故號其劒曰草薙也。藂雲、此云茂羅玖毛。王曰「殆被欺。」則悉焚其賊衆而滅之、故號其處曰燒津。 (日本書紀 第七巻 景行天皇・日本武尊の巻)