言霊の妙用
言靈とは事のうちにこもりて活用の妙をたもちたる物を申す也.萬葉集第十三巻柿本神詠に.志貴嶋倭國(しきしまのやまとのくに)者事靈之所佐國叙(はことたまのたすくるくにそ)眞(ま)福(さき)在興曾(あれこそ)とあるをおもふに.言に靈ある時は.その靈おのづからわが所思をたすけて.神人に通じ不思議の幸をもうべき事.わが國詠歌の詮たる所なり.(此の不思議の幸といふは.すべて所欲のすぢはかなふべき理なき事なるに.猶かなふ事あるをもていふ也.)古今集の序に、ちからをもいれずしてあまめつちをうごかし云々とかかれたるは.すなはち此言靈の妙用.人の力のをよびにあらぬよしをのべられたる也.さて.その靈となるはいかなる物ぞといふに.所欲のすぢは爲にいづべからぬ時宜の.その時宜にかなへむことのかたさに.せめて哥によみて.ひたぶる心をなぐさめむとする心これなり.さる心より歌のなり出たるなれば.言のうちに.その時やむことをえざると.ひたぶる心のやむことをえざるさま.おのづからととどまりて靈とはなるにて候.されば.所欲を達せむがためによむ哥は.同日の論にあらず.その靈の言にあるとなきとは.哥よむ志の.時宜を全うせむがためにすると所欲のためにするとのけぢめなり。
富士谷御杖、真言辨 下巻、新編富士谷御杖全集 第4巻、思文閣出版、三宅清編、1986年、p736.
我々がある事を強く願っているにもかかわらず、それが叶わない場合、断ち切れない思いを少なくとも言葉として残そうとする。その場合我々の願いは言葉の中で霊となり留まるのである。しかしその願いは意図的に欲を達せんとするものであってはならない。抑えようにも抑えがたい歌という言葉の中に閉じ込められたこうした純粋な気持ちはやがて時期が来て、大きな霊力となり、突然実現されるという。こうした言霊思想は、「言」は「事」である、という考えにも繋がる。話された言葉は現実となる。物の名前を呼べば、それがそのまま現れる。思う人の名を呼べば、そこにその人はすぐさま、あるいはいずれ現れる。
昔の歌が我々の心を打つのも、ある意味では言霊の作用かもしれない。有名な万葉集の山上憶良の貧窮問答歌、
人並に 吾(あれ)も作るを 綿も無き 布肩衣の
海松(みる)のごと 乱(わわ)け垂(さが)れる かかふのみ 肩に打ち掛け
伏廬(ふせいほ)の 曲廬(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁解き敷きて
父母は 枕の方に 妻子どもは 足(あと)の方に
囲み居て 憂へ吟(さまよ)ひ 竈には 火気(けぶり)吹き立てず
甑(こしき)には 蜘蛛の巣かきて 飯(いひ)炊(かし)く ことも忘れて
ぬえ鳥の のどよび居るに いとのきて 短き物を
端切ると 云へるが如く 笞杖(しもと)執る 里長(さとをさ)が声は
寝屋処(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ
かくばかり すべなきものか 世間(よのなか)の道
当時の人の貧しさがつぶさに描かれ、その有様が目に浮かぶように描かれ、読む人の心を打つ。むろんどんな歌でも心を打つわけではない。心を打つ優れた歌は、言霊が作用しているということであろうか。こうした感動させる力もまた言霊の作用なのであろう。