1. 話の目的

そもそも我々が生きている限り、私たちは人と関わらざるを得ないので、なんらかのコミュニケーションを他人と取ることになります。

どうせするなら、なるべくうまくできた方がいいに決まっています。ちゃんと伝わらないような話し方よりは、相手にはっきり理解してもらえるような言い方、わかりやすい言葉使い、言いたいことのちゃんとわかる話の持って行き方が理想でしょう。しかしながら現実には我々はなかなか話し手に言いたいことを伝えることはできないことが多いのです。それはなぜなのか、考えてみましょう。

第一に相手の話のポイントがわからないということがあります。どんな話には必ず最終的な意図があります。部分的なことが多少わからなくても、話の行きつく先がわかれば全体としての話は分かってきます。しかし話の集約する先がないと我々は何をどうしたいのかかがわからないのです。それは我々を不安にします。特に不案内な人間との話の場合、我々は話をどう持って行ったらわからず、話は途切れてしまいます。漠然と話をしようとする場合は話が途切れがちです。次々と手当たり次第に話題を見つけなければならないからです。

話には必ず、「話は聞いたけど、だから何なの」という相手の疑問に答えられるようなポイントが含まれていなければなりません。相手に具体的に何かしてほしい、例えば、一緒に何処かに行って欲しいとか、物を貸して欲しいとかいう場合は比較的容易です。相手にこちらの目的を説明し、了解してもらえればいいからです。複雑な話でも、相手が最終的に具体的な意図を伝えればいいわけです。しかし相手に必ず具体的な行動を前提するものとは限らないものもあります。他人との初めての人との話し合いが難しいのは、話の方向性を共有できないからです。

我々は話しながらも常に相手が何を言いたいのか常に予測しています。そうしなければ話は連続して進行してゆかないのです。話は二人の発話とそれに対する答えが織り合わさってできる糸や織物のようなものです。相手の言いたいことを理解しそれに答え、それに付け加えながら進行していくわけですから、猫が好きだという話をしているのに、犬の話をしたりするのは糸口を失うことになります。猫が好きだという話も、動物全般の話になって、動物は人を癒してくれるという話になれば、犬の話も問題はないかもしれません。一見異なった話の間に連関があれば問題はないわけです。重要なことは相手の発話の意図にこちらが触発され、話を発展させることが重要な点です。相手の話にこちらの話を連関させることは、相手そのものを尊重する行為であり、相手にとっても自分の存在が認知されているという確認になります。もちろん、動物の話もただ好きだというだけではなく、だからどうだという結論も必要でしょう。例えば、動物による癒しが必要なのは、実は会社で人間関係の問題が生じているからだとか、転職を考えているなど別の問題とかかわっていることもあるかもしれません。

その場その場で進行してゆくの話の流れの行き先を理解することも無論重要ですが、先に述べてように、更に重要なのは、その全体話が最終的に何を目的にしてなされるのかという方向性を持つということです。相手をある事について説得しなければならないのか、それとも批判的なことを相手に知らせねばならないのか、あるいは単に旧交を温めるために過去の記憶を確認したいだけなのか。友たちと昔話に話を咲かせて、古い友人のことを次々に思い出すのはそれは個々の話がばらばらでも、記憶を再確認して再共有し、話し相手との歴史的な連関を深め、自分の存在を深めるという意味があるのです。初めての人と話す場合、これから関係を結んでゆく可能性がある場合は話も分かりやすいでしょう。また旅先で一時だけ話すという場合は、あまり個人的な領域に踏み込むことなく、その場での体験を共有するということも可能でしょう。それは、体験の交換であり、自分の体験しなかったことを、相手の話を聞くことによって体験するという意味合いがあります。

親しい関係の場合は、単に相手に 自分の意見に対して同意を求めるとか、あるいは 自分の話を 聞いてもらい 体験を共有して欲しい とかいうこともあります。 当然そうしたことも当然話をする 重要な目的になります。それは聞き手にとってはむしろ対話と言うよりは、目の前に相手を置いてのモノローグと聞こえるかも知れませんが、それは話し手にとって、自分の体験を相手にいくらかでも聞いてもらうというのは特別な意味があると考えられます。つまり、話すことで自分の体験が世界と共有され、連携が生まれると言うことです。それにより自分一人の中に抱え込まれていた緊張が減少するのです。自分の中だけでの確信の持てない話が聞き手に話すことによって客観化され、自己確認が可能となるからです。こうした場合、往々にして聞き手はポイントが分からず、戸惑ったり、いらいらしたりするかも知れません。しかしそうした聞いてほしいだけという会話は多いのです。それを我々は聞き手として理解しておく必要もあるのです。しかし相手がそれを予め暗示しておいてくれれば聞き手の方もそれほど戸惑うこともないでしょう。いずれにしろ、こうしたメタ議論、つまりこの議論が何のためになされるのかを共有することは、対話の理解を根本で容易にするのです。

話の終点を確認しあうことは、それほど難しいことではありません。しかし何のための話かについてお互いに合意をしているかを確認するのは、話し手がそれをある程度明確に相手に言葉で表現したり、相手がわかるように多くのサインや暗示をしておかなばなりません。そうしなければ対話は不安定で、建設的なものにならないでしょう。