ある少年の物語 青年時代

その女の子とは特に何かあるというわけでもなかったが、コンパの打ち合わせか何かで、立て込んだビルにある2階続きの入り組んだしつらえの喫茶店に入った。やや仄暗いシャンデリアで照らされた部屋の中には、大きな深い暗い青色のソファが整然と並び、たばこの煙とコーヒーの香りと人の話し声が満ちている。小さなテーブルに向かい合って座ると彼女が色々と話しかけてくる。

少年が喫茶店に入ったのも初めてだったし、女の子と二人でというのも初めてだった。それまでいた田舎には、家から一キロ先に駄菓子を売る米屋が一軒あり、別の方向にはやはり一キロ程先に煎餅屋があるだけだった。喫茶店は、隣町の通っていた高校の途中にあるといわれていたが、そこは不良少年がたむろするところだといわれていた。それはうわさであり、少年は確かめもしなかった。少年はそもそも喫茶店が何のためにあるのかも知らなかった。しかし少年が大学にいる今でも、少年の内から駅までは二キロの道のりを歩かねばならず、夜には幅一メートルほどの該当の全くない家のない田舎道を歩かねばならなかった。時々野犬の群れが出てきて、少年に吠えかかったりしたものだ。しかしこうして都会に暮らして喫茶店に入ってみるといかにも都会の生活が始まったような気がした。相手の彼女が何をしゃべったのかは全く覚えていないが、小柄のやや太り気味の彼女の話し方は自信に溢れ、これから自分が関わるであろう新しい世界を先取りしているような未来の人間に見えた。

最初少年は大学には2時間以上もかけて田舎から通っていたが、やがて学校に近くにある古い長屋風の下宿に住み始めた。二階建ての木造のそれぞれ十部屋が二列に並んだ一間の部屋で、朝遅く起きると枕元に膳に載った冷めた朝食が置かれていた。夕食も出されたがこれも部屋での食事であった。門限が10時でそれを過ぎると入り口には鍵がかけられた。門限を過ぎた者は、下から小石か何かを知り合いの窓に投げて知らせ入り口を開けてもらった。隣の部屋の太った別の大学の学生が時々やってきては話をした。夏に暑くて半裸で本を読んでいると、パンツ一つでおまえ何してるんだ、などといきなり襖を開けて入ってきた。ほとんどの学生は近くの大学生か大学院生で、未だバンカラ風の学生も中にはいたが、ほとんどいかにも頑張ってきましたという感じの溢れたまじめな人間がほとんどだった。規則が厳しいので大家と掛け合おうとすると、そこに住んでいる学生の一人が大家に言われて我々の話を盗み聞きし、大家に伝えていることがわかった。また米屋が下宿の入り口に届ける米袋には家畜用と書いてあった。家畜用であっても、米は米に違いないのに、それまで普通に食べていたご飯がなんだかとても不気味な気がしてきた。少年はその後暫くしてそこを出て別の下宿に移った。

大学では親しい友達のグループがまもなくできた。一人は秀才風の男で、小説を書いていた。一人はサラリーマンをしている家庭のある男、一人は陰鬱で繊細な感じの革マルの学生で、親が仕事でスイスにいると言うことであった。その他は普通の、少年から脱却しつつある学生たちであった。彼らとはやがて同人誌を作って毎年定期的に雑誌を出版するようになった。又、別の文学サークルに入り、詩を書き始めた。その中心は何年か年上の男で、遙かに年上のように見えたが、実際にはそんなに年が違わなかったであろう。彼は、繊細な顔に細いひげを蓄えているとても知的な人間でフランス哲学、加藤郁也、稲垣足穂などについて話した。居酒屋で知り合ったという女性と同棲し、たくさんの高価な本を持っていて、金に困るとその本を売って生活しているということであった。その彼女が妊娠してしまい、金を工面して堕胎したともいった。彼と、一つ若い学生とよく飲みに歩いた。あるときは朝まで飲んで、次の日も飲みに行ったりした。最も少年の方はほとんど下戸ではあったが。彼はどこからかお金を見つけて、それぞれのメンバーに詩集を個人出版として、出版させてくれた。大学は学生紛争の余韻がまだ残っていて、突然ヘルメットをかぶった数人の学生が授業開始頃に入ってきて、突然アジテーションを始めることもあった。また、大学の学生寮に別の政治クラブの集まりで泊まった後に、警察の手入れがあったこともあった。そのクラブの学生たちは真剣に世界革命を信じてマルクスを読んでいた。

後に知り合いになった同じ専門の、何年か先輩の大学院生は長髪で、やはりひげを生やしていた。彼は学生紛争のさなか、大学の電話でドイツに電話をし、ほとんど通じないドイツ語で何時間も世界革命について語り合ったと自慢していた。優秀な人物で、体育会の学生の卒論を一人いくらかで請け負って書いたが、その論文のできが良くて、教授の間で話題になったということであった。彼は教授の助手のような仕事をしたり、後輩のために勉強会を開いていた。すぐにある大学の講師として迎えられたが、常に黒のスーツを着ていてサングラスとひげを生やしていたため、ある居酒屋で本物のやくざから、おまえはどこの組のものだと聞かれ、金のマークの入った名刺を見せられたと自慢げにいった。後に少年が何年かの留学から帰ってくると、彼は癌ですでに亡くなっていた。それを教えてくれたのは知り合いの先輩であったが、少年が冗談だろうといって笑うと、怒ったように、本当の話だと言った。少年は信じられなかった。とても仲の良かった彼の妻はそれから一人で暮らすこととなった。

大学では更に、あるとても面倒見のいい教授を通して別の夜間の学生グループとの関わりができた。大学には二種類の学生がいて、ある学生たちは教師を馬鹿にして、自分自身で本を読み、勉強した。一方、別の学生たちは教師と密な関係を持ち、人間関係を作ろうとした。また、何人かの教師も多くの時間を学生と共有する事を有意義であると考えていた。夜間の学生の多くが職業を持ち、大人だった。彼らもドイツ語を学んでいたが、ドイツの作家の翻訳をしていたのを契機に、実際にその劇を自分たちで上演しようということになった。そのグループには実際に演劇に係わっているものもおり、彼らが中心になってオーディションを行い配役を決めることとなった。そして少年もある役を割り当てられた。少年は、未だ自宅から通っていた道すがら、駅から自宅への真っ暗な夜道で長い台詞を独りごちながら繰り返した。練習場には元宝塚にいたという品のいいかなり年配の女性が二人顔を出していた。毎週同じ仲間と何回も練習場で会い、稽古をするのは少年にとって緊張でもあったが、ストーリーを造り上げる過程は演劇ならのものではあった。上演はある地域のホールで催された。長い練習に明け暮れた朝方の日の光や夕暮れの帰り道の風景が頭をよぎった。少年はそこである女性と知り合った。少年は彼女に恐る恐る電話したが、彼女も憎からず思っていたらしく鎌倉で会うことになった。彼女は白いおろしたてのジーンズをはいていた。それが少年にとって初めてのデートだったかは定かではないが、少年も身内の人眼関係から外の人間の世界の内面に関わっていくことになった。夕暮れのベンチに座って長いこと二人は闇を待っていた。

青年時代 2