少年の日々5
少年はよく夢を見た。少年は夢の中で、助走を付け、飛び上がり、自分の家の庭から空に浮き上がりながら家を空から見下ろした。また夕暮れのあかね色に染まった空を自由に飛び回った。また悪夢をよく見たものだった。とりわけ風邪で高熱がよく出て何日か布団に伏せっていた時に。すると、不安定な自転車の車輪の上に更に車輪を重ねた乗り物で猛スピードで走った。また何か化け物に追いかけられて必死に逃げ、暗い闇の中に落ちた。あるいは自分が棺桶に入れられ、閉じられようとする蓋のその隙間から、彼方の赤く染まった空にロケットが打ち上がる夢を見たりした。死の考えに取り憑かれ、夜寝付けないことがしばらく続いた。
少年が中学生になったある日、寝ていると台所から祖母の叫ぶ声がした。ただならぬ様子だったので慌てていって見ると、台所の手前の畳に、祖母が倒れていた。後で聞くと裸電球のスイッチを回そうとして感電し、倒れ、骨折したようだった。祖母は骨折医に連れて行かれ、手を伸ばした状態で板に固定され、何ヶ月もそのまま生活することとなった。祖母は暫くは普通に歩き回ってはいたが、その間に様々な合併症が出るようになった。やがて高熱が出るようになり、寝込むようになった。
診察鞄を抱えたかかりつけの医者が隣の町から来て、親戚が集まった。少年はどうして良いか分からず、雰囲気を変えようとして親戚の子供たちと歌を歌い始めた。親戚の誰かが来て、こんな時に歌を歌うもんじゃないよ、と言った。やがて祖母は息を引き取った。年かさの従兄弟が、人間はいつかは亡くなるんだよと言った。突然涙が出てきて、少年は大声で泣き始めた。人はいつかはこうして死ぬのか、と思った。少年にとって初めての人の死であり、最愛の人間の死であった。なぜ人は死ぬのか、使命を終えたからなのか、それとも単に生理的な能力の限界が来たからなのか、少年には分からなかった。しかし、祖母はよく生前に少年に、死んでも草葉の陰から見守っているからね、とよく言っていたものだった。少年は実際、祖母が亡くなってからも、祖母が空から見守っているような気がした。その言葉はそれからも少年を力づけた。
祖父はその後も10年ほど生きた。80過ぎまで水田や畑で働き、米を作り、野菜を作った。朝から畑に出て、昼に却って昼食を取り、一休みしてからまた仕事に出て、夕方に帰ると決まって、今のテーブルで父の銀行からもらった手帳に日記を付けていた。
ある日祖父は話があるといって、ほとんど成人になっていた少年を呼び寄せ、実は実の母が見つかったと言った、というのも、叔父が何らかの病気で入院したときに偶然その町に住んでいて近くの用品店で働いていた母が病院に搬入される叔父を見て、話をし住所を教えたそうだ。少年は戸惑った。考えたことのなかった不安と羞恥心が襲ってきた。いきなり自分には隠されていた秘密が祖父の口からはっきりと口にされたからである。それまでだれ一人としてそのことについては言及した人間はいなかった。少年自身もそれまで母親の存在を一度も考えたことがなかったからだ。それはとてもおかしなことだった。継母がいるということは、本当の母親がいないということではないか。生活の中の継母との緊張状態は、まさに少年には母親がいないことからきているというのに、なぜ少年は自分には母親がいないということに気が付かなかったのだろうか。なぜ少年の記憶からは母親の記憶が全く抹消されてしまっていたのだろうか。そんなことがどうして可能だったのだろうか。少年はこれほどまでに愚かだったのだろうか?
彼は血のつながった父と母がいて、その子供がいて、祖父がいるという普通の家族構成というものを知らなかったのだ。どんなに不愉快なことが起ころうと、彼にとって彼の生きていた環境が唯一の家庭環境でしかなかった。
いろいろ考えた挙句、彼は連絡なしで会いに行くことにした。しばらく日がたってから、少年は何度も道に迷いながらも母の家を尋ねた。家をノックすると年配の男性が玄関に顔を出した。その男性が母の新しい夫であった。その男性はがっしりした優しそうな人間だった。少年が名を名乗ると、母親は衣料店で未だ働いているはずだといった。少年は迷惑をかけるつもりはないし、ただ母親に会いに来ただけだと言った。彼はその衣料店の名前を教えてくれた。
少年は母の勤めていると言われた用品店に行き、母の事を尋ねた。母そこにいた。母は表情こそそれほど変えなかったが、混乱していた。が、よく来たといって、少し待つように少年に言った。もしかしたら彼女は叔父に住所を教えた時点で、そうした可能性を考えていたかもしれなかった。母親はタクシーを呼んだ。半時間もたたずに母の実家に着いた。大きな屋敷で中庭には鶏やヤギなどが歩きまわっていた。母親が玄関を開けて家の人に何か言った。中から年配の夫婦らしい家の人が出てきてあいさつし、よく来たといった。広い部屋に通されて座布団の上に座らされ、お茶が出され、しばらく待つように言われた。母親の両親から今どうしているのか聞かれるままに少年は短く答えた。やがて三々五々母の近くに住む親戚が集まってきて、やがて食事が運ばれ、宴会となった。皆が口々によく来てくれたといった。何人かの人は少年にお金の入った封筒をくれた。少年はその中に、時々駅で見かける男性も混じっているのに気がついた。母はそれほど近くにいたのだ。少年は突然自分の知らない未知の世界に引き込まれてしまったような気になった。しかし同時に自分にいつも欠けていた何かを見つけたように感じた。同時に少年の訪問はまた、過去のつらい思いを母親に思い起こさせることでもあった。母親は二十代そこそこで結婚したのであるから、まだ五十歳にもなっていない頃である。再婚し二人の小学生中学生の子供がいて懸命に働いている時であった。そこに突然克服したと思っていた過去の記憶が少年の形で突然やってきたのであった。
少年はその後母に会いに行く事はしなかった。行ってはいけないような気がした。母は既に別の生活をしていたし、自分の係わる余地は全くなかったからである。また母親もそう考えているようであった。少年が不思議に思ったのは、自分に全く母の記憶がないことだった。母親が4歳の時にいなくなったのだから、記憶が全くないということがあり得るのだろうか?後に母が言ったところによれば、母親は畑仕事をするときは、赤ん坊だった少年を大きな籠に入れて、田んぼの角に置き、働いていたそうだ。また、よく本を読み聞かせ、少年は字が読めないのに、本を手に持ってあたかも読んでいるように母の真似をして物語を繰り返したそうだ。少年は母親が急にいなくなって、母恋しさに毎日泣かなかったのだろうか。毎日見ていた母の顔を全く忘れることなどが本当にできるのだろうか?それは子供にとっては幸いかもしれないが、子供のことを決して忘れることのできない母親にとっては耐え難くやるせないことだろう、と少年は思った。事実少年の母親は、少年を探しに小学校に行って塀の外から少年を見ていたということだった。
80を過ぎると少年の父親は祖父の健康を気遣ってか、畑仕事を辞めるように言った。祖父はそれに逆らわなかった。それからは一日中家にいるようになり、居間で過ごすようになった、継母はまともな昼食も作らず、祖父をないがしろにした。祖父は自転車であちこちに出かけるようになった。ある日、病院から連絡があり、近くの自動車道で、祖父が自転車に乗りながら接触し、病院に搬入されたとの連絡があり、病院に駆けつけた。寝台に寝かされた祖父は意識がなく、チューブに繫がれていた。一時意識を取り戻し、家族が周りにいるのを確認してから事故後、10日ほどで亡くなった。