少年の日々 4
少年は近所の五、六人の子達と一緒に小学校に通学していた。一番上の子は四、五歳も年上で、毎日迎えに来てくれた。近くの子供たちも、一緒に通った。家から小学校までは4キロほどあった。小さな子供にとっては長い道のりであったが、途中の田舎道は田んぼと散在する家が広がり、変わりゆく景色を見ながら歩いた。家を出てしばらく田んぼ道を歩いてると家がいくつかまとまった集落があり大きな高い垣根に囲まれた家が並んでいる。その中には例の親戚の瓦屋があり、親戚の夫婦が忙しそうに働いていた。しばらく行くと農機具を売っている家があって、曲がりくねった道の隣には、蓋もされない肥溜めがあり、雪の日などにはそこに足を入れてしまうこともあった。そこからは一直線の道があり、開けた田園の風景の中を歩く。桑の実がなっている小さな堀を渡り、夏には蛙たちが何の邪魔もされずに鳴いている田んぼ道をひたすら歩くと、梨園があり、そこからまもなくお寺が見える。そこを右に曲がると大きな通りがありその向こうに小学校があった。恐らく7、 800人ほどの規模であったが、少年にはそれなりに居心地の良い場所ではあった。
学校が終わると少年は大概一人で帰って来た。図書館で借りた零戦や軍艦などの戦争の本やアラビアンナイトなどが好きだった。とりわけアラビアンナイトは、少年が自分の夢に浸るのに完璧な世界であった。少年は魔法の霊と空を飛び、見知らぬ世界を訪れた。高貴な、美しく着飾った人々の華やかな世界、盗賊や犯罪がいたるところで行われ、人殺しや処刑が当たり前に起こる世界。庶民が苦労しながらも懸命に暮らす世界。少年はその世界に浸った。
小学校の高学年になると、好きな女の子ができた。近くの席でたまに話すだけであったが、その子の前ではどこか子犬のように神妙になった。学期末に、クラス替えがあると聞いて急にその女の子と別のクラスになるのではないかと思い、不安になった、そして何日も考えたあげく、担任の先生に手紙を書くことにした。ペンで何度も書き直し、同じクラスにしてもらえるように、と書き、涙の代わりに小さな水滴を文字に落とし、滲ませた。新年度になって、その子は同じクラスにいた。少年はやはり先生が斟酌してくれたのだろうかと思い、気まずいような気になった。
しかしながら、将来何が自分の周りに起こるかは、少年の想像すらできないものであった。子供の幸福感はその世界の小ささにあるのかもしれない。我々が将来を知らないことは幸運なことかもしれない。何も苦慮することもない。少なくとも、人は空想ではあっても現実よりも良いシナリオを思い描くことができる。しかしもし知ることができたのなら、我々は未来を変えることができたのであろうか。
一緒に通学していた中で、一番上の男の子は、大学を出てから県庁に入り、少年の親戚の一人が市長になると、その人物に助役を請われ、後に自らも市長になった。少年の隣に住む一歳若い男の子は、父が社長をしている会社に入り、後を襲ってその会社の社長になった。初めは彼は幼なじみの同級生の女性と結婚し、とても仲むつまじく暮らしていた。二人の子供が生まれ、幸せそうな家庭であった。その家は元々家族で呉服屋をしていた。大きな古びた褐色の木製の看板には金色の屋号が書かれ、重そうな黒枠の木のガラス戸越しに見えるそれほど広くない畳の部屋の奥にある高い幾重もの棚には、反物が整理されて積まれていた。当時村では唯一の商家であった。彼の母親は、上品な人で、いつもきれいな身なりをして出かけるのが常で、近所の人は彼女が出かける度に服装に目を見張り、噂をしたものだった。しかしやがて年齢を加えるにつれ外出も稀になり、見かけなくなった。彼女の夫はある女性と以前から関係があり、妻はそれを苦にしていたということであった。やがて彼女はある日農薬を飲んで突然命を断った。彼女は農薬を飲む前に会社の夫に電話をかけ、お世話になりました、と言ったそうだ。夫が会社から駆けつけたときには既に事切れていたという。しかしその夫は翌年には再婚し、子供の目を憚ってか、その妻のために新しい家を直ぐ隣に建てた。その新しい妻は、そうした事情もあり、また少年の友人と十歳ほどしか変わらなかったので、二人はまったく口もきかない関係となった。暫くして父親は自分の息子を次期社長に提案しようとした。そしてまさにその会議の最中に心筋梗塞で亡くなったという。 その後、隣人の少年の幸せそうな結婚生活も長く続かなかった。彼の妻は自分が癌ではないかと疑い、何度も病院に通ったにもかかわらず、医者はそれを良性だと判断したらしい。しかし症状がすすみ、結局癌である事が判明した時には、すでに手遅れとなっていた。そして彼女は半年も経たずに亡くなった。一人残された隣人は、継母と口をきくこともなくなり、更に彼をうるさがった息子も家を出て関係を絶った。かろうじて娘がたまに家を訪れるだけになり、隣家ともほとんど関係を持たず、家はほとんど明かりのつかないままとなった。
また別の隣家の農家の息子は、古い家に住んでいた。彼の父親は戦争中に中国に送られたということだった。彼は都会まで肉体労働を詩に毎日出かけ、地域の仕事を懸命にした。そして戦争については一言も語らなかった。かれは最初の妻を亡くし、暫くして再婚した。その妻は遠くから来たが、近所とも良い関係を保ち、長生きした。その息子はどういう事情か、この遠くから来た継母の娘と結婚した。彼は塗装業の仕事についたが、子供の一人は精神的な障害を負い、他の家族も様々な病気を抱え常に入院を繰り返すこととなった。