少年の日々2

「昔はこの一帯が家の土地で、隣の村の神社に行くのに、人の土地を通らないで行けたもんだった」と曽祖母は父に語った。また家が権勢だった頃、村で打ち壊しがあり、米蔵が襲われた時には怖くて女たちは箪笥の隅に隠れて震えていたそうだ。そもそもこの辺は沼地があちこちに広がっていたが、次々と埋め立てられて水田となった。戦争前に家族の一人が東京に出て、パン屋をはじめそれなりに成功していたが、戦争の始まりで店をたたみ帰ってきたということもあった。祖母は既に破産して、百姓家となったこの家に生まれ、近くの瓦屋の次男と結婚した。その祖母には姉が居て、結婚して東京にいたが、やがて離婚して戻り、少年の住む家の道を挟んだ別棟の家に一人で暮らしていた。黒田という名前だったそのおばあさんは、少年が顔を見せると、ときどき聖徳太子の描いてある百円札をくれた。台風の日、学校から早く帰ると、どんよりした生ぬるい風があたり一面を満たし、黒田のおばあさんと少年の家の間の道の両側にはスモモの木を上下左右に激しく揺さぶっていた。道路には赤や緑の混じったスモモの実が足の踏み場もないほど落ちていた。少年はこれからやって来る嵐の空気の中で、何かしら興奮を覚えたものだった。

 

黒田のおばあさんが亡くなると父はその家を道路を超えて高台の自分の敷地に移設し、母屋の新築の間そこにしばらく継母と暮らしていた。しかし母屋が完成してからはその家は空き家となっていた。少年はそこに時々興味本位でよく忍び込んだ。南向きの正面の雨戸を開けると陰気な空気が漂ってきた。8畳ほどの畳の部屋があり、後ろの押し入れには継母の衣類などが引き出しに詰められてはいたが、部屋はたまにしか掃除されず、畳はホコリや砂をかぶっていた。障子で区切られた隣の四畳半の部屋には簡単な炊事場のようなものがあり、人の住んでいた気配がわずかに残っていた。天井裏で小動物が動き回るらしい音がするので少年が押し入れから天井裏を覗くと、乾涸らびたネズミの死骸があり、少年はこれが音の正体だったかしらと考えてぎょっとした。またある時少年が小学校から帰ると、二人の妹たちがその家の前に積まれていた藁の側でマッチで遊んでいて、ちょうど藁が燃え上がり、火の手は家の背丈ほどになっていて、まさに家に移ろうとしていた。少年は慌ててバケツの水をかけて火を消したが、二人は動じる様子もなく見ていた。その家の前の庭には大きなひまわりやコスモスが初冬の太陽の光の中鮮やかに咲いていた。

 

祖父はよく自転車の後ろに少年を乗せ、隣にある町の祭りに連れて行っていってくれた。自転車の荷台は硬くて座り心地は良くなかったが、様々に変わって行く自転車からの色とりどりに移り変わる景色は年端もいかない少年を驚かせた。ある春の暖かな日祖父は少年を自転車に乗せて、川岸に植えられた桜の名所に連れて行ってくれた。出店の並んだ、人通りの多い川の土手に何百メートルの長さで植えられた桜が、土手の下まで桃色の霞のように枝を伸ばし、その土手の下には一面に黄色い菜の花畑が何キロも広がっていた。少年にはそれはあまり非現実的で絵本の世界のように見えたものだった。祖父は穏やかであったが守護神のように、家では少年を陰になって見守り、少年が他の子供たちとけんかをすると、少年を連れて他の子供たちの家まで行って叱りつけた。祖父は農業検査員として農協で働き、出勤するときはスーツを着て、香水をつけ、帽子をかぶって行き、給料日にはアイスを買ってきたと少年の父親は話していた。祖母と祖父はそれほど話すことはなかった。しかし喧嘩をするというわけでもなかった。

 

祖母は母親代わりとして少年の弁当を作り、洗濯をし、色々と面倒を見た。父親が仕事に行っている間は、ほとんど畑に出て農作業をしていた事が多かった。祖父は水田を作り、祖母は家の正面の垣根の前に拡がる畑で野菜を作っていた。少年は少し大きくなってから、良く祖母とバスに乗って町の親戚まで一緒に行った。バスは一時間に一本で、時々待ちきれなくて竹林や畑の広がる国道を次のバス停まで歩いた。当時町は商店が所狭しと並び、活気に満ちていた。祖母も街が好きらしく、町に出かける前は椿の香りのする鬢付油で丹念に髪を結った。大通りでは様々な店が何キロにもわたって狭い車道に突き出すように並んでいる。お祭りがあると祖母と一緒に出店を手を繫いで歩いた。欲しいものがあると少年は買ってもらうまでだだをこね、祖母の手を離さないで大声で泣いたりした。祖母は人目を気にしながら仕方なく財布を取り出した。

 

伯父夫婦はその町で洋服店を営み、四、五人の職人がいて繁盛していた。小学生の時には夏になると少年は一週間ほどその叔父の家で過ごした。たいてい雑誌を買ってきて恐ろしい話を読んでは悪夢を見たり、大好きなプラモデルを作ったりしていた。また、夕方には銭湯に行った。たいていは、職人である従兄弟の連れ合いと、たまには伯母たちと一緒だった。風呂の後はたいていおきまりのコーヒー牛乳を飲んだ。

 

洋服店の隣は畳屋があった。そこには少年とほぼ同い年の兄弟がいて、少年たちはすぐに仲良くなった。仕事場に入ると壁には多々目が積み上げられ、そこから藺草の匂いが漂い、少年たちの父親が、皮の肘当てを付けた肘をリズミカルに長い針に当て、畳を縫っていく。そこには少年が感じたことのない張り詰めたような空気があった。やがて一週間ほどもすると父親が迎えに来て、いやがる少年をスクーターの後ろに乗せて家に連れて行った。

 

少年の父親の姉である伯母は、少年が継母に冷たい扱いを受けていることを気遣った。実際継母に二人の娘ができると、継母は少年を無視するようになり、少年のおもちゃを壊したり、様々な告げ口を父親にするのだった。しかし、祖母が母親がわりになり、時々露骨な嫌がらせで嫌な思いをすることはあっても、少年は継母の干渉をまともに受けることはそれほどなかった。伯母は夏の地元の祭りや七夕などの折に黒い和服の正装で来て、少年の祖母や継母と一緒に料理を作り、大勢での食事となった。来るたびに小遣いをくれ、時々少年の家に来ては甘いものを持ってきて、少年の祖母と少年に無頓着な継母の話をした。伯父は少年たちが訪れるたびに二人を通りを挟んだ目の前にあるレストランに連れてゆき、大きなとんかつをごちそうしてくれた。大きなとんかつを目の前にして商売が絶頂期にあった叔父は少年にも遠慮なく食べろと得意そうに勧めた。

 

少年の日々3