ある少年の物語 忘れられた村に生まれた少年の記憶
歳を経て過去が未来となり未来が過去となる。
かつて知りえなかった未来が、まるで占い師が水晶玉を覗くようにくっきりと見える。そしてその自分の見たものはもはや占い師のものではなく歴史となった。それはもはや変えることもできない。
たとえ悲劇の中で打ちのめされていようと、こんなはずではないとそれを否定しようと、過去を変えることはできない。すでに死んだものは生き返らないし、失われた魂はもはや戻る事はない。同様にかつての楽しいほんの一瞬を体験することすら叶わない。人はそれを過去と呼ぶ。しかしそれは正しくない。それはかつて我々にとって知りえなかった未来だったのだ。
漠然としてはいるが胸が躍るような、いつかやってくるはずの世界。不安よりも胸踊る期待に満ちた世界。悲しみよりも挫折よりも快い見る夢を見ることができる将来だった。 そしてその夢は既に見られてしまった。夢は終わってしまった。そこに立って先に見えるものは焼け果てた野原、星々の落ちた大地,干上がった海。囁きあう森の小鳥たち、さんざめく無数の星の輝き、南の光明るい海で見た泳ぐ色とりどりの魚たちはどこに消えてしまったのか。
長い夜朝方まで飲み歩き、歌い、貧しさも気にかけることなく一生楽しげに語らうはずだった友人たちはどこに行ってしまったのか。暗闇の迫る公園で人目を憚りながら抱き合い将来を誓い合った優しいの恋人の吐息はどこに消えてしまったのか。自分を愛してくれた両親たちももはや土の下に眠っている。祖父母や叔父叔母、すべて優しかった人々は存在していない。誰が彼らがいつか本当にいなくなってしまうことを信じたであろうか。
それは事実というよりは、一瞬の儚い夢のようなものであり、まるで実際には存在していなかったのようにも見える。しかしそうだとすれば一体ここにいる自分は何者なのか。歴史のない空虚な幻なのだろうか。あるいは本当に幻に過ぎないのかもしれない。
しかしそうした考えに抗って思い出すことをこれから書き連ねていこうと思う。今からできるのは記憶を辿り文字として残すことだけである。証人は消えてしまったのだから。これは事実であるのか、虚構であるのかもはや明瞭ではない。記憶とはそうしたものであろう。個人的な記憶は誰も口を挟めず、正すことももはやできない。生は個人的なのだから。